JIYU、自由、じゆう。

29歳、何事も続かない私の頭の中です。タイトルが思い付かず、好きな言葉を並べてしまいました。

何をしに来ているのだろう。

この派遣先では、することがないときは
本当にすることがない。


だけど、毎日日報を提出する決まり。

無理矢理細々としたことを書く。


やることないからネット見たりするけど、
人が近くに来たときは、マニュアルを修正するふりとかする。

適当な文章を打ち込んでは消して、とやっているときは強烈に、何をしに来ているのか。と思う。

朝から満員電車乗って来てまで。

この会社のとある部署とあまり関わりたくない。
というのも、私が頼まれたくない部類の依頼が多いからだ。
自分でやってよ、というような内容の。


することないわりに、やりたくないことが突然舞い込んでくる。
そんなの当たり前なのかもしれないけど。

あめよび

美子と輝男のやりとりは心が痛くなるほど、分かる。

「本当に愛しているなら、何故結婚してくれないの?」


これだ。
輝男が美子のことを大切に想っていることは、分かる。
ならば何故そこまで頑なに同棲も結婚も拒むのか。

美子を自分に置き換えたとしても、ほぼ同じ会話をしそうである。


なんで結婚にここまで囚われてしまうのかも、
よく分からない。

分からないけれど、

「私のこと、好きなの、嫌いなの」
「だから、好きだよ、そう言っているじゃん」
「そんなの、言葉ならいくらでも言える。ちゃんと行動で表してほしい」

そうなのです。その通り、と思ってしまうのです。

さらに、

「結婚とか※諱とかさ。おれが一番好きだって言ってるんだから、それでいいじゃない」
「ごまかしてる。結局、私のことはあんまり好きじゃなかったんだね」

そう。そういう発想になってしまうのです。
心が痛い。本当に。


※諱とは"いみな"と読み、古い風習が残る村などで自分につけられたもう1つの名前のこと。
この物語では、諱は結婚する相手にしか教えない、という風習の村で輝男は育った。


輝男のような男の人は、ある意味で子供のように素直に自負のやりたいことをやっていて、すごく惹かれる気持ちはよく分かる。

それでいて、譲れないものは何がなんでも譲らないのだ。

これが切ない。


こういう話は身につまされるのだ。

私自身も、結婚したくて堪らないのに、いつなの?という不安定な心持ちだから。

このての話は自負のことのように重い気持ちになってしまう。
が、好き。

怖いものみたさ、というやつかも。

人生オークション

「他にもたくさん同じようなものが出品されているのに、どうして自分にはこれが必要だということが彼女たちにはわかるのだろうか。他のものじゃダメ、これじゃなくちゃダメ、そんなふうに思ったことが私には一度でもあるだろうか。」

というところを読んで、確かに、と思ったら。

私は、ヤフオク!を利用したことはない。
というかオークション自体。だから正確には、
この文とは違うけれど、

何かが欲しい、これが欲しい、
と思うとそれじゃないとダメな気がする。

何かを買うときに、何でもいいけど
目についたからこれ、という時よりも、
これがいい!と思って買うことの方が多いけれど、

よく考えたらそれって不思議。

もうひとつ、

「怒らせたり困らせたりするのは一瞬でできるけど、人に許してもらうには時間がかかるんだよ、たぶん」

これもハッとした。

それはその通りで、私は、すぐに怒るけれど、
すぐには許せない。
一瞬で許すなんて出来ない。

それでも何ヵ月も何年もってことはないけれど、
何十年たったって許せないことも世の中にはあるだろう。


だけど、怒らせることは一瞬で出来る。
信用をなくすことも。

それを恐れてびくびく接するのも違うと思うけど、
なるべくなら人を傷つけずに生きていきたい。

私は、たくさん人を傷つけたことがあるし、
かってに傷ついたこともあるから難しいことだけど。


りり子のような人に憧れる。
後先を考えず、その時その時を生きているようにみえるからだ。

白石の妻は頭がおかしな女だと思うし、すごくムカつくのに、よく謝れるな、と思った。


「私がやってなくても、やったのとどこが違うの?一番大切な人たちに信じてもらえないなら、どこが違うの?これまで自分がそういう人生を生きてきたんだからしょうがない」

この状況に陥ったときに、このセリフを言うりり子はすごい。
受け入れることが出来る人なんだ。

罪のあとさき

殺人には色々な理由がある。

殺しても良い理由、というものはないとしても
仕方ないよね、と思う理由はある
と思う。

私は猫がとても好きだし、そもそも殺してみたかった、という動機で動物を殺す人間は許せない。

この物語は、
14歳で同級生を殺害してしまった卯月と、
同時同じクラスだった楓が大人になって出会うところから始まる。

卯月は子供の時から何かしら脳の障害が疑われているが、何の障害がは明らかではない。

見たものを写真のように記憶できる能力がある一方で、幼稚園から中学に上がるまでずっと一緒だった同級生の名前は覚えられない。


そんな卯月は中学で渡辺楓に出会い、一目惚れをする。

親しい友人や、好きな女の子の名前は覚えられるようだ。


クラスではジロちゃんと、永森と過ごしている。

妹の千尋も何かしらの発達障害で、3歳になっても言葉を話すことは出来ず、赤ん坊のように泣くことで何かを伝えようとしている。

そして母親はノイローゼ気味なのか、少し様子がおかしい。

楓は、初め殺人の過去がある卯月とどう接してよいのか迷うが、少しずつ、惹かれていく。


卯月は何かどこかが変わっていて、人を殺した、ということに罪の意識がないのではないか、とも思える。


「これは殺すべき命だ」

と思って実行した卯月が怖い。
「殺すべき命」とは、何なのだろう。


やはり普通ではない。悪い意味で。


千尋が唯一言葉を放つシーンがある。

「こわい」

というのだ。

母親と、父親と兄に向かって。

こわい。こわいよ、確かに。

卯月が永森を殺した理由をみていても、
仕方ないよな、とは思えなかった。

ただ、永森は最低な人間だとは思う。


この物語は何となくハッピーエンド風だが、
この後はどうなったのだろう。

少なくとも、私が楓だとしたら、真実を知った時に
それでも卯月と一緒にいられる気がしない。

あのあと、2人はどうなったのだろう。

ギリギリ

すごい設定だ、と思った。

お嫁さんの亡くなった元夫の母親と仲良しの夫。

元夫の母親である静江がまた凄い人だと思う。

良い意味でも、悪い意味でも。

息子のことが何よりも誇りだったのだろう、

…ことは分かるのだけれど、元嫁の旦那の健児に
息子のことばかりを話すシーンには、正直うんざりした。

人のことを褒めるのは決して悪いことではないし、
それが亡くなった子供のことだったら尚更だ。

むしろ、こんなにとことん愛して、信じて、受けとめるなんて自分にはそんな経験がない。


だけど、どうして人が褒められているところを見る時は晴れ晴れとした気持ちになれないのだろう。


亡くなった息子の一太郎が浮気をしていた、という事実で少し嬉しくなってしまうほどだった。


一太郎の浮気相手の女にもイライラしたし、
健児の妻の瞳のことも正直、好きになれなかった。


だけど、読み終わったときには、不思議と静江のことは好きになっていた。



寂しいような、悲しいような、不安なような、
だけどそれだけじゃないと思わせる、今まで読んだ小説では味わったことのない切ない終わり方だった。

ちびまる子ちゃんの思い出。

小学3,4年生位のときに初めてエッセイを読んだ。

母が知人から借りていた、さくらももこさんの
「あのころ」だ。


すごく面白くて、何回も読んだ。

それから古本屋さんで「まる子だった」「ももこの話」を買い、これも何回も読んだ。

返しそびれたのか、いつの間にか「あのころ」も
我が家の本棚にあり、それは私のものになった。


そのあとは「さるのこしかけ」「ももの缶詰め」「たいのおかしら」のシリーズや、他のエッセイも次々と買っていった。


初めて好きになった作家だった。


ということを最近思い出した。

とにかく面白くて、ちょっと憧れもあった。


そんなことが心の片隅に残っていたから、
もしかしてブログの文体がエッセイ調なのかもしれない。

エッセイ調じゃないかもしれないし、関係ないかもしれないけれど。


今は全て手放してしまったけれど、
久しぶりに読み返したくなってきた。

おおかみこどもの雨と雪

私何かおかしくなっちゃったんじゃないの?

と思うくらい、序盤から泣いた。

出逢ってからの日々で描かれているはなの姿に
無性に心を射たれた。

理由が分からないのだ、
何故涙がとまらない?

世の中に不満をもたずに、否定せずに、
全てを受け止めて、生活する姿。

これを書いていて分かったけれど、
はなの、全てを受け止めて、笑っている姿に
激しく揺さぶられたんだ、

あれって、並大抵のことじゃない。

自分の理想の姿でもあるけど、程遠く、
無理だろうな、と思っている姿。


昔ヨガの座学で、人は自分に無い要素に出逢ったときに心が動く、つまり感動する、と習ったが
まさにそれだ。


あまりにも求めている姿だったから、こんなにも感動したんだろう。

愛が溢れた映画だった。


ところで、
この映画をみたのは初めてではない。

が、以前みたときには「なんかイマイチな映画だな」という感想だった。


あのときの私と今の私は母親になる、という想いの強さが違う。

母になったとき、またみてみよう。