JIYU、自由、じゆう。

29歳、何事も続かない私の頭の中です。タイトルが思い付かず、好きな言葉を並べてしまいました。

罪のあとさき

殺人には色々な理由がある。

殺しても良い理由、というものはないとしても
仕方ないよね、と思う理由はある
と思う。

私は猫がとても好きだし、そもそも殺してみたかった、という動機で動物を殺す人間は許せない。

この物語は、
14歳で同級生を殺害してしまった卯月と、
同時同じクラスだった楓が大人になって出会うところから始まる。

卯月は子供の時から何かしら脳の障害が疑われているが、何の障害がは明らかではない。

見たものを写真のように記憶できる能力がある一方で、幼稚園から中学に上がるまでずっと一緒だった同級生の名前は覚えられない。


そんな卯月は中学で渡辺楓に出会い、一目惚れをする。

親しい友人や、好きな女の子の名前は覚えられるようだ。


クラスではジロちゃんと、永森と過ごしている。

妹の千尋も何かしらの発達障害で、3歳になっても言葉を話すことは出来ず、赤ん坊のように泣くことで何かを伝えようとしている。

そして母親はノイローゼ気味なのか、少し様子がおかしい。

楓は、初め殺人の過去がある卯月とどう接してよいのか迷うが、少しずつ、惹かれていく。


卯月は何かどこかが変わっていて、人を殺した、ということに罪の意識がないのではないか、とも思える。


「これは殺すべき命だ」

と思って実行した卯月が怖い。
「殺すべき命」とは、何なのだろう。


やはり普通ではない。悪い意味で。


千尋が唯一言葉を放つシーンがある。

「こわい」

というのだ。

母親と、父親と兄に向かって。

こわい。こわいよ、確かに。

卯月が永森を殺した理由をみていても、
仕方ないよな、とは思えなかった。

ただ、永森は最低な人間だとは思う。


この物語は何となくハッピーエンド風だが、
この後はどうなったのだろう。

少なくとも、私が楓だとしたら、真実を知った時に
それでも卯月と一緒にいられる気がしない。

あのあと、2人はどうなったのだろう。

ギリギリ

すごい設定だ、と思った。

お嫁さんの亡くなった元夫の母親と仲良しの夫。

元夫の母親である静江がまた凄い人だと思う。

良い意味でも、悪い意味でも。

息子のことが何よりも誇りだったのだろう、

…ことは分かるのだけれど、元嫁の旦那の健児に
息子のことばかりを話すシーンには、正直うんざりした。

人のことを褒めるのは決して悪いことではないし、
それが亡くなった子供のことだったら尚更だ。

むしろ、こんなにとことん愛して、信じて、受けとめるなんて自分にはそんな経験がない。


だけど、どうして人が褒められているところを見る時は晴れ晴れとした気持ちになれないのだろう。


亡くなった息子の一太郎が浮気をしていた、という事実で少し嬉しくなってしまうほどだった。


一太郎の浮気相手の女にもイライラしたし、
健児の妻の瞳のことも正直、好きになれなかった。


だけど、読み終わったときには、不思議と静江のことは好きになっていた。



寂しいような、悲しいような、不安なような、
だけどそれだけじゃないと思わせる、今まで読んだ小説では味わったことのない切ない終わり方だった。

ちびまる子ちゃんの思い出。

小学3,4年生位のときに初めてエッセイを読んだ。

母が知人から借りていた、さくらももこさんの
「あのころ」だ。


すごく面白くて、何回も読んだ。

それから古本屋さんで「まる子だった」「ももこの話」を買い、これも何回も読んだ。

返しそびれたのか、いつの間にか「あのころ」も
我が家の本棚にあり、それは私のものになった。


そのあとは「さるのこしかけ」「ももの缶詰め」「たいのおかしら」のシリーズや、他のエッセイも次々と買っていった。


初めて好きになった作家だった。


ということを最近思い出した。

とにかく面白くて、ちょっと憧れもあった。


そんなことが心の片隅に残っていたから、
もしかしてブログの文体がエッセイ調なのかもしれない。

エッセイ調じゃないかもしれないし、関係ないかもしれないけれど。


今は全て手放してしまったけれど、
久しぶりに読み返したくなってきた。

おおかみこどもの雨と雪

私何かおかしくなっちゃったんじゃないの?

と思うくらい、序盤から泣いた。

出逢ってからの日々で描かれているはなの姿に
無性に心を射たれた。

理由が分からないのだ、
何故涙がとまらない?

世の中に不満をもたずに、否定せずに、
全てを受け止めて、生活する姿。

これを書いていて分かったけれど、
はなの、全てを受け止めて、笑っている姿に
激しく揺さぶられたんだ、

あれって、並大抵のことじゃない。

自分の理想の姿でもあるけど、程遠く、
無理だろうな、と思っている姿。


昔ヨガの座学で、人は自分に無い要素に出逢ったときに心が動く、つまり感動する、と習ったが
まさにそれだ。


あまりにも求めている姿だったから、こんなにも感動したんだろう。

愛が溢れた映画だった。


ところで、
この映画をみたのは初めてではない。

が、以前みたときには「なんかイマイチな映画だな」という感想だった。


あのときの私と今の私は母親になる、という想いの強さが違う。

母になったとき、またみてみよう。

素直じゃないなぁ。

昨日彼の買い物に付き合っていたとき。

スーツをあれやこれやと試着しては、
私がチェックする、というのを繰り返していた。

まぁ、見てほしいと言われているのだから、
格好よくみえるスーツを選ぼうと私も真剣に
チェックしていた。

すると彼がぽつりと
「なんかお母さんみたいだね」


この場合のお母さんみたいは、どちらかと言えば
褒めている。お節介だなぁ、というニュアンスではない。

当たり前だ。見てほしいと言われているのだから。

けれど、素直じゃないので、つい
「お母さんって全然嬉しくないよ~」と言ってしまう。

これも嘘ではない。
お母さん自体は憧れるが、彼から言われると
女じゃなくなったように感じたのだ。

だってお母さんのこと女としてみる息子って
そんなにいないでしょう?


ただ、彼が言ったことは分かる。

私も彼の優しさがお父さんみたい、と感じたことがあるから。

安心感があって大きな優しさ、だったときにそう感じた。

まぁ、そのうち本当にお母さんになるんだし、
いっか。


無事に格好よくみえるスーツを買うことが出来ました。

私はクレーム受付係じゃない。

内線がなったので出ると、社長からだった。

なにやら少し怒っている。
聞くと、どうやら会議室使用の件だった。


「会長が応接室を5時間ぶっ続けで予約しているが、何故だ」ということ。

知らんがな。

私は、会長室と同じフロアで、社長は別フロア。

それでもそんなことは、直接会長に聞けばいいじゃん。私は、会長室つきの秘書でもなんでもないのだ。ただの受付係。

しかも怒ってるし。

応接室はひとつしかない。

「応接室を丸々5時間も使うのならば他の会議室移ってほしいんだ」ということだった。

社長自身が使いたい時間があるらしい。

会長に確認してみます、といって一旦きり、
会長のもとへ。


…しかしなんて伝えればいいの。

社長から言われたまんま伝えるわけにはいかない。
けど、社長のことをふせて「なんで5時間も使うんですか?」とも聞けない。

仕方なく、「社長も応接室を使いたいようだが、可能か」といった聞き方をすると、会長は「それだったら他の会議室を使うからいいよ、平気だよ」とあっさり譲ってくれた。

それをまた社長に内線で伝えると、「無理はしなくていい、続けて使うのならば自分は別の会議室を予約する」と、素直に受け入れてくれない。


とにかく会長がどうぞと言っているので大丈夫ですと言い続けてようやく納得してくれたけれど、
すごく面倒くさかった。


そもそも何故自分で会長に直接聞かず、こんな周り道をするのか分からない。

会長と社長が特別に仲が悪い、とかそういうことはないのに。
変な関係。

私が怒られた、みたいな感覚を味わうなんてとばっちりだ。

すごく、うんざりした。


というのも、以前の会社では、社長とほぼ2人きりの状態で仕事中過ごしており、それがとても苦痛だったから。

とにかく、突然の思いつき行動、に巻き込まれるのが大嫌いなのだ。すぐ機嫌悪くなるし、恐い。

恐い思いをしたくないから派遣になったのに…

ここ辞めたら、社長と関わりのないところへ行こう。

嫌な女

小谷夏子は、本当に嫌な女で、嫌な女のまま終わった。

悪役でも、その人の背景を知ると「そんな事情があったのか…」と思うことは結構多い。

つまり、最後まで最初の悪い奴という印象のままということは少ない。

だけど、時々、ある。

最初から最後まで、ずぅっと好きになれない、
というか嫌いなままのキャラクターが。


今回はこれだった。

そもそも、語り手の石田徹子の目線と、夏子に関わった人達の話でしか、この小谷夏子は登場しない。

だから本当の夏子の考えや生い立ち、気持ち等は
最後まで一切分からないままなのだ。


そんな訳で、タイトル通りの嫌な女っぷりが
よく分かる作品だった。